逆ソクラテス
伊坂幸太郎さんの作品の『逆ソクラテス』は、小学生の様々な人間模様が描かれています。
小学生時の教員との関係、クラブ、クラスメイトとのやり取り、いじめ問題などリアルにしかし、後味良く描かれています。
そんな中で、「いじめ」はなぜいけないのか?というテーマが作品の中に何回も登場します。
道徳の授業でも取り上げられる題材で、なぜいけないかの説明はたくさんあります。
そんな中で、伊坂幸太郎さんのいじめは何故いけないかの理由は、今の世に通じる説得力ある一つの説明であると感じました。以下、要約します
いじめられた側は、やられた事、された相手の事をいつまでも覚えている。将来、大人になった時に、いじめた側が幸福で成功している姿を見れば、いじめられた側はそれを妬み壊したくなるかもしれない。
いじめられた人が、将来の仕事の取引先の相手、結婚相手の親戚、救急病院の医者である可能性もある。そんな時に、昔にいじめられた経験を思い出し、仕返しをされることもあり得なくはない。
人生は山あり谷ありで、いつの世でも生きていくのは誰にとっても大変なこと。
そんな時に、いじめや相手が嫌がることを平気でする人は、周囲に疎まれ、周囲からの信頼を無くしたまま、将来生きていくことになる。つまり、自分の人生を自ら生きにくくする。
そして、今はSNSなどインターネットの発展によって、いじめた相手をいつまでも、どこまでも追跡することができる。つまり、いじめた側が一番幸福で成功している時期に、復讐されることもなくはない。
こういう内容を、短編の作品の中で説得力が増すように、ストーリーに織り込みながら展開されていきます。
これを読むと、いじめや人が嫌がることを平気ですることが、どれだけリスクが高く、自分の首を締めることになるかがよく分かります。
この短編を読み、心に残ることがたくさんあると思います。是非、若い世代の人にも読んでもらいたい作品です。