セレンディピティー(偶然の幸運をつかみ取る力)『量子革命』より
量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 (新潮文庫)
- 作者:クマール,マンジット
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 文庫
物理を勉強していると、様々な天才科学者が紹介されます。
ミクロな電子などの性質を説明する量子論のフロンティアを開いたボーアも紹介されます。
高校化学では、原子核の周りを回る電子のモデル(ラザフォードモデル)を習います。
しかし、電子が加速度運動すると電磁波が発生し、エネルギーを失い原子核とくっつくという結論になってしまいます。
その為、ラザフォードモデルは正しい原子の構造を表していません。
そこで、ラザフォードモデルを改良したのがボーアです。
高校物理の教科書でも、ボーアの量子条件、振動数条件というものを習い、大学入試にも頻出です。
しかし、この教科書の記述だけだとボーア一人でこの天才的なアイデアをひらめいたと誤解してしまいます。
実際には、ボーアはラザフォードモデルを改良するアイデアを日夜考え続けて、プランク、アインシュタインなどの発見から様々な仮説を思いつきます。
その仮説を頭で考え続けているときに、友人からの話に自分の答えがあることに気付き、ボーアモデルを作り出します。
つまり、セレンディピティーに恵まれた訳です。決してボーアの頭にどこからともなく湧いたアイデアでは無かったのです。
日夜、知恵を振り絞って考え続けるからこそ、日常の会話や自然に隠された真実を見つけることができます。
勉強をしている時、社会に出た時や、仕事をしている時でもとにかく考え続ける、その姿勢が問題を解決する糸口へと繋がることがよく分かります。
天才物理学者は一人にして成らず、と教えられた本でした。『量子革命』、皆さん是非お読みください。
勉強するのは、世のため、人のため
新聞の記事に緒方洪庵の特集がありました。
1800年代の後半、鎖国が終わった日本に海外からもたらされた感染症コレラ(当時はコロリと呼ばれた)が大流行しました。
感染症に対する知識などもない時代ですから、多くの人が亡くなりました。
そんな時に活躍したのが医者であった緒方洪庵です。
岡山県出身で適塾という私塾を開き、福澤諭吉、自衛隊の元を作った大村益次郎を輩出した教育者でもあります。
緒方洪庵が感染症対策で行ったことは、まず西洋の医学書に書かれたコレラの知識を、5-6日間寝ずに書き写し、本にしました。
その本を100冊程度、無償で周囲の医者に配り、感染症の正しい知識を広めました。その甲斐もあり、コレラは徐々に収束に向かいます。
空気感染も起こし、死者をたくさん出した非常に恐ろしい感染者です。
しかし、西洋医師のジェンナーによってワクチンが開発され、西洋では天然痘を克服しつつありました。
緒方洪庵は、日本でも天然痘のワクチンを打つことが出来るように、免許制で保健所のような場所を作りました。
その免許制が、後の医師免許制度の原型になったようです。
また、適塾では優秀な学生がたくさんいました。夜遅くに塾生が寝るときに、洪庵の書斎を除くとまだ明かりが点いている…
師匠が頑張っているのなら、自分達も頑張ろうという気にさせられたという逸話が残っています。
そんな緒方洪庵の言葉で私が好きな言葉を最後にお伝えしたいと思います。
「勉強は、世のため、人のために、国のため、道のため」
非常に心に響く言葉です。勉強するのは、大学受験に受かるためではありません。自分の利益のためだけにするのではない
自分が出来ることを増やして、世のために自分が役立つためにするのだ、と改めて心に刻んでくれます。
逆ソクラテス
伊坂幸太郎さんの作品の『逆ソクラテス』は、小学生の様々な人間模様が描かれています。
小学生時の教員との関係、クラブ、クラスメイトとのやり取り、いじめ問題などリアルにしかし、後味良く描かれています。
そんな中で、「いじめ」はなぜいけないのか?というテーマが作品の中に何回も登場します。
道徳の授業でも取り上げられる題材で、なぜいけないかの説明はたくさんあります。
そんな中で、伊坂幸太郎さんのいじめは何故いけないかの理由は、今の世に通じる説得力ある一つの説明であると感じました。以下、要約します
いじめられた側は、やられた事、された相手の事をいつまでも覚えている。将来、大人になった時に、いじめた側が幸福で成功している姿を見れば、いじめられた側はそれを妬み壊したくなるかもしれない。
いじめられた人が、将来の仕事の取引先の相手、結婚相手の親戚、救急病院の医者である可能性もある。そんな時に、昔にいじめられた経験を思い出し、仕返しをされることもあり得なくはない。
人生は山あり谷ありで、いつの世でも生きていくのは誰にとっても大変なこと。
そんな時に、いじめや相手が嫌がることを平気でする人は、周囲に疎まれ、周囲からの信頼を無くしたまま、将来生きていくことになる。つまり、自分の人生を自ら生きにくくする。
そして、今はSNSなどインターネットの発展によって、いじめた相手をいつまでも、どこまでも追跡することができる。つまり、いじめた側が一番幸福で成功している時期に、復讐されることもなくはない。
こういう内容を、短編の作品の中で説得力が増すように、ストーリーに織り込みながら展開されていきます。
これを読むと、いじめや人が嫌がることを平気ですることが、どれだけリスクが高く、自分の首を締めることになるかがよく分かります。
この短編を読み、心に残ることがたくさんあると思います。是非、若い世代の人にも読んでもらいたい作品です。
読みたいことを書けばいい
毎週日曜日の番組で「林修の初耳学」というものがあります。私はこの番組が大好きで、欠かさずに見ています。番組の中で、林先生が推したい作家の本が紹介されることがあります。その中の一つを今日は紹介したいと思います。
田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい』です。読んでみて、これは就職活動をする前、大学の推薦入試前に是非読んでおけばな…という気持ちにさせられたからです。それだけのインパクトがありました。
私が一番紹介したいのは、履歴書の書き方です。これは、これからの人生全てに通じると思います。
筆者が主張しているのは、就活で聞かれるのは、「あなたは今まで何をしてきた?」「会社に入ってから何ができる?」この2点だということです。これが、自己紹介、志望動機という名前で聞かれるから分かりにくい…
大学入試の推薦入試で聞かれることもこの2つであることは間違いありません。
筆者の履歴書の一部を紹介します。自己PR「トラックの運転手」、志望動機「御社が私を必要としているように感じたので」です。どうです?ビックリしませんか?この履歴書で筆者は就職氷河期において、電通を含む4社に内定が決まったようです。
大企業の採用で、学歴で東大に勝てるわけがない、大量の履歴書に埋もれないようにするにはじゃあどうしたらいいか?相手が突っ込みたくなる、深堀りしてみたくなるように、書くことを意識したようです。
最後に紹介したい言葉は「得意、不得意を知れば社会があなたを振り分ける。就活生は最低限向いている方向を見定めたら、あとは心配しないで社会の振り分け機能に身を任せる。」です。
学部選びなどで困っているあなた、まずは自分が得意なこと→「人をまとめる、細かい作業、人に説明する…」、苦手なこと→「人前で話しをする、計算…」をしっかり把握してください。そして、得意なことを発揮できる場に自らを持っていく。せめて、不得意な方向性は避ける。そうすれば、社会はあなたを得意な方に導いてくれるということです。
- 作者:田中 泰延
- 発売日: 2019/06/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
経済の発展は作物の余剰から?
『父が娘に語る経済の話』で印象的に残った話をさせて貰います。
経済の発展には次の流れがあるようです。
農耕→作物の余剰→様々な専門職業生まれる→余剰を大量に管理するリーダー(王)が生まれる
作物が余るほどに、農耕が進むと時間にゆとりが生まれ、農耕以外の仕事が生まれます。職業軍人、武器職人、官僚、道具士などなど。
リーダーの中には、大量に作物の余剰を貯め込む王のような存在が出てきます。それを守るのが、職業軍人です。
しかし、他の民がその王の余剰作物を欲しがって反乱を起こすと、いかに軍人がいても数に圧倒され、王は倒されてしまいます。
そこで、王であることの正統性が必要となります。つまり、私が王なのは○○だからだ!という皆が絶対に納得する明確な根拠が必要となる訳です。
その根拠を与えたのは誰だと思いますか?
これが宗教の聖職者です。聖職者が「神がこの王を選ばれた」と言えば、民はそれを信じる他にありません。
そこで、どこの国でも聖職者が重宝され、特権階級になる場合が多いようです。
このように、歴史・経済の流れには必然性がある所が非常に面白いです。
内容に興味を持たれた方は是非読んでください。これ一冊で、経済についての大雑把なことは理解できると思います。生きていくために必要な知識も得ることが出来ると思います。
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
- 作者:ヤニス・バルファキス
- 発売日: 2019/03/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
数学を発展させたフェルマーの最終定理
今挑戦して読んでいるのが『フェルマーの最終定理』です。
三平方の定理(ピタゴラスの定理)は中学で習うので、多くの人が知っている定理だと思います。
三平方の定理では二乗ですが、三乗以上について自然数の組み合わせは存在しない、という非常にシンプルなものかもフェルマーの最終定理です。
一見解けそうなのですが、超難関定理となっています。
この定理の歴史は、古代ギリシャ時代のピタゴラスから始まり、問題として成熟したのが、17世紀のフェルマーの時代です。
フェルマーは弁護士もしていましたが、趣味で休みの日に数学をしていました。その数学のレベルは当時の数学者以上の才能でした。
自分が発見した数学の定理を数学者に手紙で送りつけて、「これ、発見したんだけど君解ける?」みたいな所もあったようです。
そのフェルマーがメモ用紙に書いてあったのがフェルマーの最終定理です。「余白が少ないので解くのはやめておく」という言葉とともに記されていましたようです。
17世紀から約300年間の間に様々な天才数学者が挑戦しましたが、1993年のアンドリュー・ワイルズが証明するまで誰一人として成功しませんでした。
実は、フェルマーの最終定理を証明するには最先端の数学が必要で、17世紀の数学ではその証明は難しかったと言われています。
しかし、その定理を証明する過程で発見された数学的手法が、数学の歴史の発展へと繋がりました。
難しい数学の説明はあまり使われておらず、数学の発展の歴史が書かれています。理学部数学科を志望する人は、是非読んでおいた方がいい作品です。
この本の新たな発見があれば、また報告させて貰います。