ドラキュラはどうやって誕生した?『西洋奇譚』より
映画「トワイライト」「ヴァンヘルシング」などに代表されるヴァンパイア、映画や小説でよく使われる題材です。
(ヴァンパイアは「吸う者」という意味があるようです。)
ドラキュラにはモデルとなる人が実在します。
15世紀の現ルーマニア、当時はワラキア公国と呼ばれる国の君主、ヴラド3世がそのモデルです。
(その祖父が使っていたヴラン城は現在も存在しています。)
ヴラド3世の時代、現トルコの元となるオスマン帝国はイスラム教の国で、近隣のヨーロッパ諸国を脅かしていました。
現ドイツの周辺国は、神聖ローマ帝国と呼ばれており、キリスト教の国でオスマン帝国と度々争っていました。その時に、神聖ローマ帝国が対オスマン帝国として派遣したのが十字軍です。
その十字軍もオスマン帝国に脅かされていました。
ヴラド3世のワラキア公国も、オスマン帝国の脅威下にありました。
ある時、オスマン帝国の大軍がワラキア公国に攻め入ろうとしているとき、
ヴラド3世はある奇策を思いつきます…
オスマン帝国や近隣諸国の捕虜数万人を串刺しにし、自分の城の周囲にその串をさします。
オスマン帝国軍がそれを目にした時、あまりの恐怖で退散したという話が残っています。
その残虐性から、血を見て楽しむなどの噂が生まれて吸血鬼めいたイメージに繋がっていき、串刺し公ヴラドという呼び名も生まれます。
また、ヴラド3世の父2世はオスマン帝国から自分たちを守るためにドラゴン騎士団という軍団を作ります。
そこから、ヴラド・ドラクル(竜王)と呼ばれます。その竜の息子=ドラクルの子→ドラキュラ
となった訳です。
それを、後年のスコットランドの小説家ストーカーがそれをモデルとし、『吸血鬼ドラキュラ』という作品を出し、大ブームとなったようです。
事実は小説より奇なり、と言われますが正にその通りですね…